『優しいひと』を捨てたいのに,なかなか辞められないのは愚かな行為?!



台風が日本を直撃しています.
そんな荒れた天気の中,私の心もちょっと荒れています。

タイトルにもあるように優しい人といわれ続けて,30年くらいたちます.最近その『優しい』が仇になって人生において随分損をしてきたのではないか?と考えることが多くなってきました.

自分でいうのもなんですが『優しい人』=『愚かな人』なんじゃないかな?という考えが頭をよぎります.つまり自分が愚かに思えてくるのです.

具体的には『優しさ』?ゆえに喧嘩してまで,自分の意見を通そうとしたりすることが苦手で,最終的には周りに流されてしまいます.はっきり言って,喧嘩は嫌いです.

何故,お互い消耗してまで激論を交わすのか?
何故,ボロボロになってまでやりあうのか?
何故,喧嘩の趣旨から離れて,性格や肉体の欠陥を罵り合うのか?
何故,殴り合うのか?痛くないのか?
何故,喧嘩した後に本当に仲良くなれると思うのか?

・・・私が思う喧嘩のイメージはおおむね上記です.

喧嘩を避けて生きてきた人生なので,とにかくもめごとに巻き込まれるのは嫌だし,仮に巻き込まれそうになった時には全力でそこから脱出を試みる習性が身についています.まともに喧嘩したという記憶は,他人とは勿論ないですし,親兄弟とも遣り合ったということもありません.

例えば,ディスカッションは出来るのですが,意見を交わした後に気まずい雰囲気を察知すると,今まで自分の意見で『こうしたい!!』と思っていたことよりも,『早くこの気まずい状況における苦痛から逃れたい』という意識のほうが優先され,全力で回避しようとします.喧嘩っぽくなる雰囲気が嫌なので,そうするのです.

そうなるとたとえ相手の意見が間違っていたとしても,結局相手の言い分が通おるようにしむけたり,相手に同調するという行動をとってしまいます.で,あとになって,やっぱり間違っていたということになったときに,『やっぱりこの人の言うことはあてにならない!』という認識を勝手にもってしまう,という黒歴史を繰り返しています.

勿論,そんなことを繰り返していると,どんどん疲れてしまいます.そして,自分から他人と距離を置くようになり,そうして他人も離れていく悪循環になります.

また,他人に対して自分の意見が無いので,どうでもよくなります.元々優しいはずだったのが,いつの間にか『他人のことはどうでもいいと思っている人』⇒『優しくない人』になってしまっています.

今まで『優しいひと』で積み上げてきたはずなのに,一瞬にして『優しくないひと』への変化に自分自身もついていけなくなってしまいます.これが,優しい人から逃れられない一因なのではないかとも思ったりしています.

さらに自分の『優しさ』が,逆に人を傷つける,こんな現実にどう向き合えばよいか?
もう全然わからないです.

時には,罵り合うくらいの喧嘩って,必要なのかな?と思いますがどうしてもできない.
別に無駄に喧嘩を吹っ掛けようという気もないですが,時にはそういうのも大事なのかもしれません.

マンガなどで殴り合いの喧嘩をした者同士が,最高の友達みたいなストーリをよく目にしたものですが,実世界ではそんなにうまくいく話も聞かないですし,私自身が実感できません.

自分の意見を持っているだけで、表現しないのは『YES』といっているのと同じ。これは何かの歌の歌詞にも出てきました(その時の記録:こちら).ああ,まさしくそうだなと思う今日この頃です.

もう少し,あと少し,踏み出せる一歩があれば,解消されるかもしれません.
その時が来るまで,気長に待つしかないかな・・・

それでは,また!


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